菓匠館 福壽堂秀信  



コラム 季の手帖


福寿堂秀信の歩み コラム 季の手帖トップへ戻る

1.屋号と花車(商標)のこと
弊社は1948(昭和23)年に、創業者岡本八稚朗(現会長)によって、大阪宗右衛門町で和菓子の商いを始めました。当時の屋号は「福壽堂」といいます。雪の中より黄金の花を開く福寿草に創業の志を託して、弊店はスタートしたのです。

また「観音経」という経典には「福聚(壽)海無量」という言葉があります。屋号に選んだ「福壽」という言葉には、和菓子を通じて福が広く無量の海のごとく世に行き渡ることを願った創業者の気持ちが込められてもいるのです。

創業店宗右衛門町の前で社員一同と創業者夫婦
(昭和26年頃)

神宮裂「刺車文錦」の御所車模様
この心意気は、弊社の商標である花車にも表されています。
商標「花車」は二つの部分からなっています。

まず御所車の文様部分は、伊勢神宮外宮に伝わる秘紋「刺車文」に由来します。

創業者岡本八稚朗の手による菓子雛形帖(昭和26年)
この文様の示すところは天帝の乗り物とされています。この乗り物に乗って世を縦横無尽に駆け、和菓子の素晴らしさを福として天下にもたらしたいという気持ちから、「刺車文」が商標に選ばれたのです。
のちに牡丹文を配して、現在の花車となりました。牡丹は富貴草ともいい、和菓子が豊かに咲き香る姿をそこに表しました。

和菓子は花、日々新たにほころびる花。わたくしどもは、そのような花として、和菓子を今日もお作りしております。


2.こだわりの基礎

昭和24年頃の宗右衛門町界隈(堺筋から西を望む)
弊社が創業した宗右衛門町は、たいへん格式の高い花街でした。舞踊や浄瑠璃文楽、茶華道の師範や一流料亭をはじめとして、そこは洗練された浪花文化の土地柄でした。

和菓子もただの「甘味」ではなく、日本の歴史の中で育まれてきた、五感を通して季節の風流を楽しむ要素が、常に求められたのです。

和菓子の世界は、「米・味噌・醤油」という日本食の延長上に生まれ育ったものと、茶道との切磋琢磨によって洗練されてきたものと、ふた筋があるように思えます。
後者においては、季節の風姿を色形にこめて、味は茶に添うように、そして何よりもあらゆる意味で「本物」であることが肝要なのです。つまりは作り手が「本物」でなければ立ち行かないということです。

そのような菓子作りの鍛錬が弊社の草創期より厳しく行なわれていたことは、福壽堂秀信のその後の基礎となり、また自信ともなったのでした。

一つ一つ丹念に四季を織り込んでゆく

煉切の絞りを作る


3.和菓子の花咲くこと
弊店は「真善美」という言葉を社是として掲げています。それは、「真なるおいしさ、善なるあきない、美なるかたち」を大切にしたいという一和菓子屋の矜持であります。

日本画の手描き掛紙を施した京都御所への献上品
その精進が実り、全国菓子大博覧会(およそ4年毎開催)ではその都度、名誉総裁賞、内閣総理大臣賞など数々の最高位賞を受賞してまいりました。
また京都御所より上生菓子の拝命を授かったことも弊店にとってこの上ない名誉でございます。爾来、天皇皇后両陛下への菓子献上並びに宮内庁御用命度々に及び、弊店の和菓子が大きく花開く思いでございました。
1958(昭和33)年には宮内庁京都事務所の石川忠所長(当時)より「秀信」の名を菓匠名として頂く運びとなりました。ここに「福壽堂秀信」の名が成ったのでございます。この五文字を弊店では以下のように考えています。

迎春 花びら餅

文楽かしら」(桃山製)。大阪南地に栄えた文楽の伝統

人として、和菓子屋として、行き抜く上でもっとも大切な心がけが織り込まれた「福壽堂秀信」の名、これこそを「暖簾の戒め」として、今後ともまごうことなき「本物」の菓子作りに精進いたしてまいります。